第一子の妊娠時、HELLP症候群になりました。
このままだと死ぬかもしれないと初めて感じました。
放っておくと(放っておけないほど苦しいけど)、ママも赤ちゃんも本当に死にかねない病気です。でも、とても珍しい病気なので、なかなか病院でも気づいてもらえないかもしれません。
私は、夜間救急含め、外来で何度か訴えましたが、「妊娠後期はこんなもんだよ」と言われるばかりで、症状が出てから診断まで1週間かかりました。
そして、HELLP症候群とわかると同時に緊急帝王切開。
妊娠34週、1843gの未熟児を出産しました。
同じように苦しむ人が一人でも減ってほしいと思い、私の体験を共有したいと思います。
目次
HELLP症候群になる
発症
妊娠33週の昼下がり。
切迫早産で自宅安静で横になっていると、突然、みぞおちに鈍い痛みを感じました。
寝てばかりいるからかなと思い、座ったり立ったりと姿勢を変えてみましたが、痛みは一向によくなりません。
夜になっても治らず、痛くて夕食も喉を通りませんでした。
嘔気もしてきて、少し息苦しくもありました。
夜も痛くて寝れません。どんな姿勢で寝ても息苦しくて、肩で大きく息を吸わないと呼吸もうまくできなくなってきました。
このままだと死ぬのではないかとすら感じ、夜中の3時に産院の救急外来に電話。
すぐ来るようにとのことで、夫を起こし、タクシーで病院へ。
入院になると確信して、夫に入院グッズを持ってもらいました。
タクシーのわずかな揺れも痛みに響きます。
吐き気もあり、タクシーの窓を開けて走りました。
産院までは車で10分。すごく長く感じました。
病院では歩けず、車いすで救急外来を経て産科に到着。
心電図検査と、1時間ほどお腹の張りと胎児心拍の検査をしてもらい、異常なし。
「問題ないので、帰っていいですよ」と言われてしまいました。
入院グッズを用意して行ったのに、拍子抜けでした。
「このくらいの週数の時は赤ちゃんがまだ上の方にいるので、苦しいんです。
もしまた痛んだら、枕を高くしてみるとか、家の中で少し体を動かしたりしてみてください。楽になるかもしれません」とアドバイスを貰いました。
妊婦ってこんなに大変なの?(そんなわけない!)と思いながらも、とぼとぼ帰宅しました。
穏やかな数日
我が家は4階ですが、階段しかありません。
病院からの帰宅時、歩くのも厳しい体調のなか、頑張って階段を上りました。
必死の思いで帰宅すると、不思議なことに、痛みが治まってきました。
先生の仰る通り、階段を上って、体を動かしたからだ!
その後3日ほど、痛みを忘れて過ごしました。
再び発症
みぞおちがまた痛んできました。
切迫早産で自宅安静中とはいえ、前回の痛みに襲われる恐怖を思うと、階段の上り下りをせずにはいられません。
1階まで降り、4階までまた上りました.
が、痛みは変わらず。
寝るときも、布団の下に折りたたんだ布団を入れて頭の位置をかなり高くしてみましたが治まりませんでした。
翌日は妊婦健診だったので、必死に痛みを訴えました。
夜間救急の時とは違う先生でしたが、前回と同じ反応でした。
ただ、胎児があまり成長していないのと、お腹の張りが強いということで、切迫早産の治療のため翌日からの入院が決まりました。
入院に備えてその日は一度帰宅しましたが、再び病院に行くまでの24時間は、すごく辛かったです。
みぞおちが痛い、息苦しい、吐きそう。
入院書類もどうやって書いたかわからないくらいの痛みでした。
緊急帝王切開
入院時には、感染症がないかどうかや、健康状態の把握のため、血液検査があります。
一通りの検査を終え、ベッドで横になっていると、先生が5人くらい部屋に入ってきました。
先生方は私のベッドを取り囲み、「落ち着いて聞いてください。あなたは、へるぷしょうこうぐんです。今から緊急帝王切開します」
へるぷ?助けてってこと?
切迫早産で赤ちゃんが早く生まれないように入院しているはずなのに、今から出産?まだ34週なのに?頭が「?」でいっぱいになりました。
あっという間に腕には点滴刺さり、移動式ベッドに乗せられて、手術の準備が整いました。
告知から1時間後、駆け付けた夫に見送られ、34週で生まれてしまう子供への不安と、自分の身体がどうなるのかわからない不安で泣きながら手術室に向かいました。
息子は1,843gでしたが、元気に産声をあげてくれました。
まだしわくちゃな顔の息子と初対面し、握手をさせてもらうとすぐに、NICUの先生に引き取られていきました。
緊急帝王切開は長かったです。出血量が多く、輸血もしました。
手術中に痛みも感じ、麻酔も途中で追加してもらいました。
手術室を出てからも治療が続きました。
その晩は両手にいくつもの点滴針を指し、30分おきくらいに看護師さんが点滴の交換や状態の確認にやって来ました。
その夜は、自分が出産したことがまだ信じられませんでした。
今まで当たり前のように感じていた胎動がないのはとても寂しく、もっと一緒にいたかったと強く思いました。
翌日は自分と夫の両親が来てくれましたが、意識がもうろうとしていてほぼ覚えていません。
その翌日は、診察に来た先生の顔が2つに見え、治療薬の副作用で視覚がおかしくなっていることに気付きました。
息子のいるNICUにも連れて行ってもらい、抱っこしてもいいと言われたものの、自分の体調が悪すぎて「今抱っこしたら落としそうです」と涙を呑んで断りました。
その翌日、複数人部屋に移りました。
隣のママは2500gの双子を産んでいることを知り、一人なのに1800 gで産んでしまった自分を責めました。
1週間で退院となりましたが、NICUにいる息子のもとに通うのがとても辛かったです。
息子が退院したのは出産から19日後。この時点で私はまだ、夫に車いすを押してもらいながら、小児科病棟に向かっていました。
その後は徐々に回復し、1カ月経つころには普段通りの生活ができるようになっていました。
HELLP症候群とは
症状
病名は、溶血(hemolysis), 肝酵素の上昇(elevated liver-enzymes), 血小板減少(low platelet)の頭文字をとって名付けられた病気です。
診断基準もこの溶血、肝酵素、血小板数の値からできています。
総ビリルビン≧1.2㎎/dL(溶血)
AST≧70U/L, LDH600U/L
血小板数≦10万/μL(Mindsガイドラインより)。
なので、血液検査をしなければ診断できません。
私の主治医が血液検査結果を持って慌ててやってきたのもそのためです。
血小板数が下がると、止血ができなくなるので、進行すると帝王切開もままならなくなるんです。怖いですよね。
発症率は、全妊娠の0.5〜0.9%。
妊娠中が70%で、30%は産後48時間以内に発症するようです(日本医事新報社 『私の治療』より)。
初期症状は、心窩部痛(みぞおちの痛み)40〜90%, 嘔気・嘔吐29〜84%, 頭痛33〜61%, 視野障害10〜20%。うち8割は妊娠高血圧を合併します。(Mindsガイドラインより)。
私の場合、妊娠高血圧になったことがなかったので、みぞおちの痛みや吐き気があっても、なかなかHELLP症候群と疑われることが無かったのかなと思います。
治療
唯一の治療は妊娠の終了です。
妊娠を終了すると様々な薬も胎児への影響を考慮せず使えるようになります。
降圧剤や、子癇(痙攣や意識喪失など)予防のために硫酸マグネシウム投与などをします。
妊娠34週未満の場合は、ステロイドを投与して、胎児の肺の成熟を促してから出産するようです。
私は34週2日。息子は初日こそ酸素投与しましたが、その後は必要なく、何とか自発呼吸できました。肺の成熟としては、ギリギリのタイミングだったようです。
まとめ
出産直後は、息子を小さく生んでしまったことをすごく後悔する日々が続きました(未熟児に関してはそこそこ色々なフォローが必要だったので、別記事で紹介します)。
でも、退院後は、後悔よりも、緊急帝王切開が間に合って息子と無事会えてよかったと心底思いながら過ごしています。
2年たった今でも、息子の笑顔を見ると、「あの時、手遅れにならなくてよかった」とふと思い出してしまい、息子を抱きしめてしまうことがあります。
すぐに緊急手術してくれた産科や麻酔科の先生方、小さな息子を24時間体制で対応してくださったNICUのスタッフの方々には感謝しかありません。
私の場合、診断には時間がかかったものの、すぐに緊急帝王切開ができ、NICUもある病院で出産できたことはとてもラッキーでした。
薬の副作用で物が二重に見えるようになってしまった時も、院内の眼科や、MRI検査室などにもすぐ紹介してもらえたので、本当に助かりました。
産院は、何気なく近いからという理由でたまたま大病院を選びましたが、色んなリスク考慮しなくちゃいけないんだなと感じます。
そして、こんなに確率の低い病気に突然なるなんて、人生何があるかわからないし、死も身近なものなのだと再確認しました。
妊婦さんがHELLP症候群にならないことを祈るばかりです。
でも、もし同じような状況になってしまった妊婦さんやご家族がいらっしゃるのであれば、この記事が少しでも早く異変に気づく手がかりになれば、幸いです。